平家物語「娑羅樹」に因んで




平山郁夫 画 祇園精舎

祇園精舎 = 紀元前5世紀ごろ、インド中部の舎衛国【(しゃえいこく)安居の場所】にあった寺。
・精舎 = 修業者のいる僧房

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諸行 = 過去、現在、未来にわたる一切の万物の現象
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紗羅 = インド産の木で高さ約30メートル、淡黄色の小花を咲かせる。
((釈迦が入滅されたとき、白い花を開き、間もなく枯れたといわれる)













祇園精舎 の鐘 の声、諸行無常 の響きあり。
 祇園精舎の鐘の音 (無常堂の、鳴り渡る鐘の音) には、諸行無常 (万物は皆、たえまなく、変化し、移り変わること) の響きがある。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰 (じゃうしゃひっすい) の理 をあらはす。
 沙羅双樹の花の色 (釈迦が亡くなられたとき、白色に変わったといわれている) 盛者必衰 (どんなに勢い盛んなものでも、必ず衰える) の道理を示している(ように感じられる)。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
 (これらの鐘の音や、花の色と同じように)栄華権勢におごり高ぶっている者も、
(その地位高き時代は) 長く続くことがなく、まさに (短くはかない) 春の夜の夢のようである。

たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵 に同じ。
勢い盛んな者も、結局は滅びてしまう、まるで (たちまち吹き飛ばされてしまう) 風の前の塵と同じようなものである。
遠く異朝 (いてう) をとぶらへば、秦の趙高 (てうかう) 、漢の王奔 (わうまう) 、梁 (りゃう) の朱 (しゅい)
、 唐の禄山 (ろくさん) 、これらは皆 旧主先皇 (きうしゅせんくわう) の政 (まつりごと) にも従はず
楽しみをきはめ、諫め (いさめ) をも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして
民間の憂ふるところを知らざりしかば、久しからずして、亡じ (ぼうじ) にし者どもなり。
 遠く外国にその例を探してみると、秦の趙高、漢の王奔 、梁の朱い、
唐の禄山 (など) これら(の人々)は皆、もとの主君や皇帝の政治(を尊重もせず)に従うこともせず、
楽しみ尽くして、忠告も深く考えることもなく、世の中が乱れていくことに気づきもせず、

人民が嘆き悲しんでいることを知らなかったので、(権勢が盛んであってもその勢いは)長く続くこともなく、滅びてしまった者どもである。


近く本朝 (ほんてう) をうかがふに、 承平 (しょうへい) の将門 (まさかど) 、

天慶 (てんぎゃう) の純友 (すみとも)
、康和 (かうわ) の義親 (ぎしん) 、平治 (へいぢ) の信頼 (のぶより) 、おごれる心もたけきことも
皆とりどりにこそありしかども、ま近くは、六波羅 (ろくはら) の入道前太政大臣平朝臣清盛公 (にふだうさきのだいじゃうだいじんたひらのあつそんきよもりこう)
と申しし人のありさま、伝へ承るこそこころも詞 (ことば) も及ばれね。
近くわが国(の例)を調べてみると、 承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼 (らがおり)
おごり高ぶる心も、勢いの盛んなことも、それぞれ尋常ではなかったが、
つい最近の例では、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し上げた人のありさまは、
(人から) 伝えうかがうことこそ、心も言葉も、どうにも及ぶことができない
(ほど人並み外れたものであった)。

その先祖を尋ぬれば、桓武 (くわんむ) 天皇第五の皇子 (わうじ) 、
一品 式部卿葛原親王九代 (いっぽん しきぶのきゃう かづらはらのしんわう くだい) の後胤 (こういん)
、讃岐守正盛 (さぬきのかみ まさもり) が孫 (そん)、刑部卿 (ぎゃうぶきゃう) 忠盛朝臣 (ただもりのあつそん) の嫡男 (ちゃくなん) なり。
 その(清盛公の) 先祖を調べてみると、桓武天皇の第五皇子の一品式部卿葛原親王の九代目の子孫である讃岐守正盛の孫であり、
刑部卿忠盛朝臣の長男である。

かの親王 (しんわう) の御子高見王 (みこたかみのわう) 、無官無位にして失せたまひぬ。
 その葛原親王の御子、高見王は、官職も官位もないままお亡くなりになった。 その御子高望王の時、初めて平 (たひら) の姓を賜はって、
上総介 (かづさのすけ) になりたまひしより、たちまちに王氏 (わうし) を出 (い) でて
人臣 (じんしん) に連なる。
  その御子、高望王のとき、初めて平の姓(苗字)を(朝廷から)いただいて、上総介におなりになってから、急に皇族の御身分を離れて臣下の列に加わったのである。
その子 鎮守府将軍良望 (ちんじゅふのしゃうぐんよしもち) 、のちには国香 (くにか) と改む。
その子、鎮守府将軍良望は、後に(名を)国香と改めた。
国香より正盛に至るまで、六代は諸国の受領 (じゅりゃう) たりしかども、
殿上 (てんじゃう) の仙籍 (せんせき) をばいまだ許されず。
 国香から正盛にいたるまでの六代は、諸国の国守であったけれども、
殿上人として昇殿することはまだ許されてなかった。

平家物語の勉強でした